豊浜魚醤・しこの露


魚醤豆事典 1 2 3

魚から醤油ができる?

 醤油はなにも、大豆からしかできないわけではありません。現在私たちが「醤油」と呼んでいる調味料は、もともとは「穀醤」と呼ばれていました。日本には穀醤のほか、肉や果物で作った醤油が古くから存在しましたが、やがて穀醤が一般的に普及するようになりました。

穀醤 米、麦、豆など穀物を発酵させて作った醤油
醤油、味噌の原型
草醤 野菜、果物などを発酵させて作った醤油
漬物の原型
魚醤 魚、エビなど魚介類を発酵させて作った醤油
塩辛の原型
肉醤 鶏や獣の肉を発酵させて作った醤油
鮨(いずし、なれずし)の原型

 上の表のように、魚介類を原料として造った醤油のことを魚醤といいます。魚醤は、魚の内臓や肉に含まれている酵素で、魚自身の動物性タンパク質などが分解されることにより造られます。この時、魚が腐敗するのを防ぐために塩を一緒に漬け込みます。分解されたタンパク質はグルタミン酸をはじめとするアミノ酸や、ペプチド(アミノ酸が鎖状に繋がったもの)といった物質になります。グルタミン酸は昆布だしなどに多く含まれるうま味のもとですから、この物質を多く含む魚醤は少量でも非常にうま味を感じさせる調味料であるといえるのです。

 食分類学的には、魚醤というと塩辛のようなペースト状のものを含みます。液状のものは「魚醤油」と呼びますが、ここでは魚醤油を魚醤とします。

塩辛 魚介類を塩漬けにして発酵させた、固形物と液体が混ざった状態のもの
魚醤油 塩辛をさらに発酵熟成させ、ろ過した液体

 子エビ等から作ったものを「蝦醤」と呼んで区別することもあります。

 

意外に古い! 魚醤の歴史

 魚醤を含む動物性の醤の歴史は、実は穀醤より古いのです。中国の『周礼』という書物に、紀元前3世紀頃政府の宴会用として120甕の醤が備えられていたとの記録が残されています。この醤は魚や動物のの干し肉に粟の麹と塩を混ぜ、酒に漬けて発酵させたものだったようです。その後、漢の時代に内臓を肉と一緒に漬け込んだ「肉醤(ししびしお)」が現れ、これが魚醤に発展したといわれています。

 中国ではその後、豆類を中心として発酵技術が進み、植物性の発酵食品が全土に広まっていきました。現在では穀醤類が主流となっています。

 「動物性→植物性」という変化を辿ったのは日本も同じでした。もともと日本では、「肉醤」「魚醤(うおびしお)」「草醤(くさびしお)」の3種の醤が縄文時代末頃から並行して使われていました。奈良時代になって中国や朝鮮半島から「穀醤(こくびしお)」が伝わりましたが、中国から入ったものを「唐醤(からびしお)」、朝鮮半島から入ったものを「高麗醤(こまびしお)」と呼んで、ほかの醤とは区別していました。このうち「唐醤」は主に豆から作られていたので、「豆醤(まめびしお)」と呼ばれることもありました。

 6世紀頃から、仏教の影響で食肉禁止令がたびたび出されるようになると、醤も動物性のものより植物性のものが好まれるようになりました。特に魚醤には魚独特の生臭さがあるため、時代が進むにつれて敬遠されてしまいました。一方香りの上品な穀醤は、原料となる大豆が比較的安価で安定して生産できたこと、輸送や保存が容易だったこともあり、江戸時代には日本全国を席巻するようになります。

 今ではすっかり影の薄くなった感のある魚醤。実際、大豆醤油(穀醤)の香りに慣れた現代人には、魚醤の持つ独特のにおいは好みが分かれるところでしょう。ですが味の豊かさでは魚醤に軍配が上がります。これは素材が動物性タンパク質であるからで、料理に少量垂らせば、まるでだしを取ったように芳醇で濃厚な味わいになるのです。上手に魚醤を使って、料理の味に深みを加えてみてはいかがですか。

煮物


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